初めまして、Yudaiです。このページでは、僕自身のプロフィールと経歴を詳しく記載いたしました。
医学部受験失敗→青山学院大学へ入学
高校時代の僕は医師を目指し、何百万ものお金をかけてもらい浪人もさせてもらいました。
ただ、医学部には入れませんでした。
翌年もその次も…浪人して受かる保証のない医学部受験に精神的に耐えられず、受験を諦めて予想全くしていなかった青学の理系に入学することになりました。
ちなみに浪人時代は河合塾福岡校・北九州予備校熊本で過ごしました。
波はありましたが、浪人時代のセンターは750点付近で
国公立医学部で勝負するにはレベルが低く、
かといって私立の4000万ぐらいする医学部はさすがにキツかったです。
一般家庭で4000万の私立医学部に行くとしたら、
医者になって20年ぐらい(もしかしたらもっと?)借金返済ですかね…。
今思うと医学部に入った友人とそうでない僕のような人の圧倒的な違いは、
「医者に本当になりたかったのか」
という信念、覚悟の差があったように思えます。
人生やり直してでも医学部に入りたいか、と問われて
即答で「うん」と言えないことから
僕は医者としては不適格でした。
同時に、今でもそうですが
両親には本当に申し訳ないと思い続けています。
決して裕福ではありませんでしたが、
医学部受験で困ったことは何一つなく、学費を出してくれました。
「浪人や人生の遠回りは無駄にならないよ」
とよく巷では言われていますが、
それは、自分が成功した(この成功の定義も難しいですが)
最低限のフェーズに来た、と思った時に言える言葉であると思っています。
とてもじゃないですが、僕はまだそうは思えません。
浪人生活、ひいては人生設計ができなかった自分を恨んでいます。
やりたいことが見つからなかった大学1・2年生
受験後、精神的に追い詰められていて他大学を受けることができませんでした。
僕はセンター利用で出願した青学に救われました。
自分への不甲斐なさと両親への申し訳なさの気持ちの中、青学の「入学式」をバックに撮った写真は今でも忘れもしません。
そして、青学へは感謝の気持ちでいっぱいです。
色々在学中思うことはありましたが、今思うのは青学本当にありがとう、そして青学に人生のどこかで関われたらいいなって。
青学のおかけで社会に出れたよ、とも伝えたい。多分これは過去の自分に伝えたいのかも。そして青学で人生の何かに苦しんでいる在校生にも。
さて、青学(相模原でしたが笑)に入ってまず感じていたのは
「あ、自分には目標がないわ….」
と。
当時の自分は医学部しか見ていなかったので、
2年間ぐらいは本当に生産的な事は何もしていませんでした。
当時やっていたのは、テニスサークルでのんびりテニスとサークル活動、テスト前に瞬間的に詰め込んで勉強、塾講師や居酒屋で適当にアルバイトなどなど。
本当にこれぐらいしかしてません笑。
普通の大学生をしてましたね。
テスト前に友達とカフェやファミレスに深夜集まり、詰め込みの(意味があるかは不明笑)勉強をする適当な学生でした。
大学3年生でカンボジアに海外長期インターンへ
そんな中、僕の中でちょっとした意識高い?系への憧れから
「海外インターンに行きたい」
と思い、その日にタイガーモブという海外インターンを探してくれる会社に連絡しました。
今「あ、海外インターンいいかも」そう思った方のために笑↓
大学なんて1年休学しちゃえ!僕はそういう勢いで行きましたので参考までに。
実際にカンボジアで行った業務などは別で書くとして、
毎日が刺激的でこの時に初めて起業とか、独立とかってどんなもんだろう、
とぼんやり考えました。
ただ、根本にあったのは
「何で独立するの?」
「一生かけてやりたい仕事ないのに独立はきついだろ」
と。
お世話になった社長は、僕らインターン生の前では暇そうにしてた(余裕を見せていた?)のですが、
死ぬほど考えてゴリゴリ働いていたんだろうな、と今は思っています。
なんたって、使えない僕のようなインターン生にお金を払ってくれていたのですから。
日本に帰国した際には何度かご飯にも連れて行っていただき、感謝しております。
帰国後「何かしなくては」と焦りを感じた
さてカンボジアから帰国後、
というよりプノンペン空港で飛行機を待っている間に
帰国後に何かしなければ意味がない、そう誓ってANAに乗りました。
帰りの飛行機で僕が考えたのは
「今自分ができることでお金を稼いでみるか」ということです。
当時僕ができたのは「ワードプレスを少し触れること」「英語が少しできること」それぐらいでした。
当時から考えていたことは自分の時給労働で働くのではなく、自分が動かなくてもお金を稼げたら最高だなと一丁前に考えていました。
町田BUSO AGORAにてカフェ英会話をスタート
1番最初に始めたのはカフェ英会話のサービス。
大学が相模原にあったので、町田のBUSO AGORA(町田駅徒歩2分!)という新しくてイケてるコワーキングスペース内で始めました。
もう今はやっていませんが、初めて自分でお金を1円稼ぐというものをできて嬉しかったです。やっぱり英語はいいなって思いました。
パーソナルTOEICコーチング事業をスタート
そして、僕が力を入れて取り組みたいと思ったのはTOEICコーチングです。僕自身もTOEIC満点を取っておらず、教えるというよりは「一緒に自身のベストスコアを目指して勉強する伴走者」になりたいと考えています。
まだまだ、僕も自分のスコアをあげたいですし、これまで自分のスコアを600点台⇨725点⇨780点⇨825点⇨880点⇨925点と自分なりにコツコツ勉強してあげてきました。
それらの中で感じたこと・コツ・勉強の仕方はシェアできることがあると思い、TOEICコーチング事業を始めました。
続きはこちら
大学卒業から現在2024年まではnoteに記載しました。ぜひ読んでいただけたら嬉しいです、本気で書きました。